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1982年アフリカ・ディストリビュータ・コンベンション (3) パリダカの始まり

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そうして、アフリカ・コンベンションは多くのアフリカのディストリビューターをアイボリ・コーストの首都アビジャンに集めて、大スライド・プレゼンテーションを敢行し、新型車パジェロを試乗してもらい、楽しい一流の食事とエンターテインメントを提供して、アフリカのディストリビューター同士、MMCのスタッフとのくつろいだ交流が実現し、成功裏に終わった。 

  実は、僕たちはこの機会に、もう一つの当社で初めての事を行った。このアフリカで海外向けCF(コマーシャル・フィルム)の撮影を行ったのである。
 試乗用に新型パジェロをこのアフリカの地に持ってきた事を利用して、4WDがふさわしいこのアフリカを背景にCFを作成する事にした。 その撮影のため、A通は日本からのスタッフと現地のスタッフが10日ほど前からアビジャンの近郊で撮影を実施し、その車をコンベンションでは試乗会に使う事になっていた。 
僕はもちろん広宣Gの人員としてその撮影の現場での責任者であった、ただし、同時進行のコンベンションがメインなので、撮影関係はあ通のスタッフが行っていた。  
 コンベンションが終わり、撮影隊連中も懇親パーティに加わり、その後の打ち上げパーティで、その新型車に乗ってアビジャンの歓楽街(娼婦街か?)を練り走り、楽しい時間が過ぎた、

その翌日。 撮影隊の隊長、A通TN氏が私に言ってきたのは「このパジェロの撮影で、現地の有名ラリー・ドライバーに車の運転をしてもらったのですが、その現地No1ドライバーがどうしても、メーカーの責任者に会わせて欲しい、と言っているのです。一度会ってやっていただけませんか。」 という事でその現地定着のフランス人ドライバーと会うことになった。

at 10:59, pajeroio46, -

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1982年 アフリカ・ディストリビューター・コンベンション (2) パリダカ・ラリーへの超序章

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このセットさえあれば、電気のあるところどこでも、立派なプレゼンテーションが行えると言う、自慢のカンパケ・セット(カンパケ=完全パッケージ)なのである、これが消えてしまった。

 

このコンベンション開催の責任者である海外企画室海外商品計画グループのNMグループ長以下、我々含むスタッフは暗く落ち込み、頭を抱えていた。

この国の販売店の責任者の見解は、ジュラルミンの箱が余りに立派だったので、空港関係者が中に大変なものがあると推測し、隠したに違いない、と言うものだった。確かにフランス、パリの空港での記録ではこの荷物は同じ飛行機に載っており、消えたのは飛行中の飛行機からか、この空港についてからになる。

販売店サイドは、彼らの最高のコネを使って、空港サイドに圧力をかけまくっている、と叫ぶ。我々も、日本大使館に連絡し、大使としての最大級の力を要請して、大使館サイドもこの国の外務省、経済省などに働きかけて、協力してくれているらしい。

我々は最悪の状況を想定して、配布資料に手直しを加え、大画面プレゼンテーション無しでの、新型車説明会という感じで、コンベンションを乗り切れるように、方向転換を考え始めていた。つまり、紙を配って、「24ページを見て下さい。」などとしゃべりながら、車を説明すると言うわけだ。まあ、試乗用の車はあるので、試乗会は何とかやれる、などと慰めながら・・。

しかし、我々はこの最初のアフリカ・コンベンションでそんなしょぼいコンベンションをやるためにアフリカくんだりまで来たのではない。派手にぶち上げて、彼らが東京に来たと同等の、世界で車を売っている日本メーカーとしてのパワーをきちんと示し、彼らに自信を与え、鼓舞するために来たのだ。地道な説明会では当社での最初のアフリカ・コンベンションの名前が泣く。

そうして、2日後、コンベンションの前日、またもや忽然とそのジュラルミンの箱は空港倉庫の傍らに出現したのだった。

さまざまな方向からの圧力が激しくなり、隠した側が、これはヤバイ、と判断して、放棄した、としか考えられない。

その忽然の出現の報が届き、我々は狂喜乱舞した。


もちろんそのジュラルミンの箱は十分に力を発揮し、我々の意図どおり、世界的な自動車メーカーとしてのパワーを見せつけ、販社たちにショックと自信を与えた、・・・と今でも信じている。

at 22:02, pajeroio46, -

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1982年アフリカ・ディストリビューター・コンベンション

ちょっと飛ばして(後でまたその経緯を書きますが・・)、1976年、CISAの黒船が来て、その後CISA撤退があり、自力で世界へ出て行き、6年後には既にぼくたち自身で盛大なディストリビューター・コンベンションを催し、日本においてだけでなく、海外においても行うレベルになっていた。
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1982年アフリカ・コンベンション:アイボリーコーストにて:パリダカ・ラリー参加への超序章

僕たちが、初めてアフリカでディストリビューター・コンベンションを開いたのは、期待の新型車(初代)パジェロのローンチングのためだった。

比較的ビジネスの規模の小さなアフリカのディストリビューターには日本への旅行の費用、またその間ちょっと長い留守をすることが大きな負担になり、東京でのコンベンションへの参加は少数に留まっていたので、思い切って、かなりのリスクを伴う冒険だが、僕たちは、アフリカでコンベンションを開催する事としたのだ。

試乗用の車も先回りして送っておいた。(日本から空送した、高かった)

当時アフリカの中でも豊かで政治的安定を保っていた元フランス領、アフリカの西海岸の国、アイボリーコースト(現在の名はコート・イボアール)の首都、アビジャン、飛行機で横っ飛びにナイジェリアのラゴスから移動してきた僕たちだが(ナイジェリアでキャンペーンを行った、これも大変だったがまた後で)、その茶色っぽいだけのラゴス、ナイジェリアから、アイボリーコーストに入ると、緑に満ち溢れた大地が広がっていて、その大きな違いに驚いた。


NigeriaとIvoryCostは2つ3つ国を挟んで横並びです。

英国人のコンサルタント、クーパーさん(元CISA)に広告代理店A通のTOさんが皮肉を言う、「クーパーさん、お宅の国が統治した国(ナイジェリア)と、フランスが統治した国(アイボリ・コースト)では、どうしてこんなに違うんですかね。」

クーパーさんは、その国土の様子の現実の違いは認めながら、説得力のない説明を真面目に繰り広げる。(その時にはTOさんは既に相手をしていないのに・・。)

僕たちはこのアビジャンの最高級ホテル、ホテル・イボアールに泊まり、ここの大ホールでコンベンションを開く計画だ。部屋の立派さ、ホテルとしての格、サービス、何をとっても世界最低のラゴスのホテルと比べようもなく、快適である。

しかし、重大問題が発生した。

このコンベンション開催での核である機材一式が行方不明になったのだ。東京でのコンベンションで使った機械とプレゼン資料を、ちょっとコンパクトにして、機材と資料を完全セットとして、ジュラルミンの箱にコンパクトに作り上げ、単独で送るとアフリカでは危ない、との事で、当社の参加者が東京からずっと手荷物として同じ飛行機で帯同して来たのに、忽然として、その完全セットがジュラルミンの箱ごと、このアイボリー・コーストの空港に着くなり、消えてしまったのだった。

<続く>

at 17:15, pajeroio46, -

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